高橋寛子


えんぶり和紙人形を創作するきっかけ

小さいころから工作などのものづくりが好きで
人形を作ったり油絵を描いたりもしていました。
27歳、当時の私は独身で書道教室に勤めていました。

街中に仕事場があったので、
地元の祭りであるえんぶりも中心街でしか見たことが
なかったのです。
ある日、長者山新羅神社という中心街から少し外れた場所で
えんぶりを見たんです。

そこで感激した私は、タクシーで急ぎ帰宅し
感激を忘れないうちにと人形を作りはじめました。
きっと作れるに違いないという妙な自信があったのを
憶えています。

雪が程よく降っている夜でした。
かがり火が焚かれ、
その中から大地を踏みしめるえんぶりの列が
境内へと入ってきたんです。
馬をかたどった烏帽子をつけた首を傾け、
金輪を付けたジャンギという棒を振り鳴らし、
大地を踏みしめる太夫(踊り子)たちを私は見ました。

その時、ふと「この土地の人たちは、
昔から神様に祈り続けてきたのだ」
という強烈なインスピレーションが湧いたんですね。
最も厳しく凍てつく2月です。
「神様起きて下さい、良い恵みをお与えください」と
足で大地を揺り起こす様子は、
昔から続いてきた祈りの形そのものだと感じたんです。

タクシーの中で「あの色とあの柄の和紙を組み合わせれば
出来るに違いない」と考えていたのですが、
実際に様々な和紙を組み合わせて作ってみた時に
その考えは甘かったと知りました。
現場で感じた神聖さや祈りの感覚とは程遠かったのです。

さんざん悩んだ挙句、
一色の和紙だけで作ることが良いことに気づきました。
私はえんぶりの見た目ではなく、祈りを形作ろうとしていたんですね。
魂に似た何か、それを表現するにはただの無地とも言えるぐらいの
和紙一色で作ることがぴったりだと私には思えたのです。

はじめのうちは1年に1体しか作りませんでしたが、
現存するえんぶり和紙人形は230体ほどです。
これからも作り続けていきたいと思います。

ものを作ることは何かを願い祈ることに似ているように感じます。
人形を作ることは、えんぶりを踊ることと同じ気持ちがするんです。
「こうありたい」という祈りがあるからこそ
、私はものを作っているんじゃないかって。
人形を作ること自体、誰からの指導もなく始めました。
祈りの気持ちがある限りそのかたちを
追い求めていきたいと思います。

高橋寛子