豊後の国 別府湾 的ヶ浜と鎮西八幡太郎 源為朝の由来、弓ヶ浜、餅ヶ浜伝説 



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別府湾に鎮西八郎源為朝が若き日に弓の鍛錬をしたと伝えられてきた。弓ヶ浜、的ヶ浜、餅ヶ浜、弓かけの松の伝説、
別府に実在する弓ヶ浜町、的ヶ浜町、餅ヶ浜町、弓かけ松の名称等から源為朝との関連を解き明かしてみました。保元
原本、為朝異本、八郎伝説、異説強弓伝、為朝外伝、鎮西八郎為朝外伝 、椿説弓張月、物語は別府、的ヶ浜区営の
温泉施設で知り合った。地元出身の郷土史を知るY氏、W氏、S氏に聞いた話を参考に創ってみました。 



父、源為義には四十数人の子供があったとも伝えられ、その一人が八郎為朝、為朝は幼少に九州豊後(大分)に住し
合戦に臨むことこ20〜30戦、身体が大きく七尺(2m)もあり、気性豪快、その上、左の腕が右より4寸(12cm)も長く、
弓を引けば天下無双といわれ、京の都では豪の者、暴れ者として、その名を轟かせた。



鎮西八郎為朝外伝には、豊後の国、別府の海で弓の鍛錬怠らず、修練に励んだと、伝えられている。的ヶ浜に30間(5
0メートル)ごとに的を置き、馬上から射抜いたことから的ヶ浜と言い伝えられ、男が5〜7人がかりで弓を張ったと伝わ
れてきた弓ヶ浜、その強弓を立てかけた弓かけの松の地名、強力の源となった献上の餅を食べたという餅ヶ浜の地名
は今でも残っているのです。



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別府の歴史と鎮西八幡太郎源為朝と、的ヶ浜、弓ヶ浜、餅が浜の所以、
長さ8尺5寸の黒羽の矢36本を負って戦場に趣いたと、




鎮西八郎源為朝、5〜7人掛かりで弦を張ったとも、、、
絵巻には3人がかりではびくともしない様子が描かれている。





保元の乱が勃発し崇徳上皇の招請に応じた父・為義に従い従軍し、兄義朝と対峙し、父方が敗れ、保元物語には書か
れていませんが、異本には、伊豆へ流された為朝が、伊豆大島から舟に乗って琉球へ渡り琉球王になったと言う伝説、
異説も語られ、沖縄には為朝上陸の浜に記念碑が建っている。
 









父の為義は気性が荒く、豪の八郎為朝を持て余し、13歳の時、九州の乳母の夫・阿曽三郎の元へ預けられ。
九州でもその勇名は轟き渡り、九州全土をあっという間に平らげたとも伝えられている。







伊豆大島に流され、琉球に逃れ後の琉球王になったとも伝えられ、その武名は遺跡となlり、伝説として九州、京、鎌倉
、伊豆、大島、琉球に語りつながれてきました。

為朝外伝、別府の歴史と鎮西八幡太郎源為朝と的が浜、弓ヶ浜、餅が浜の所以、5〜7人掛かりで張る強弓、長さ8尺
5寸の黒羽の矢36本を負って戦場に趣き、弓の修練を積んだ弓ヶ浜、的が浜、餅が浜と名前が伝えられてきた。別府
湾の波打ち際を馬で駆け、的を30間(50メートル)ごとに配置し馬から矢を放ち修練を積んだと言い伝えらてきた。
 



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源為朝以後には足利尊氏が九州に逃れ、この地で源氏再興の旗揚げをして室町幕府100年の礎が作られ、その武名
は遺跡となり、伝説として九州各地、京、鎌倉、伊豆、大島、琉球にまでも語りつながれてきた。また、明治維新の狼煙
を上げたのも九州の熱い血潮なのかもしれない。



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湯布塚原の山には為朝が一刀両断に切り裂いたと言われる
断ち割りの石、伝説が言い伝えられてきたのです。



由布岳の大草原、為朝が横笛を吹き、その音色が豊後の国の
隅々まで響き渡ったと伝えられた、笛置きの石がある。



為朝の妃12人の墓だという、別府の羽室台にある「羽室御霊社」貴船城の近くにある姫山という、
為朝が豊後の国を拠点として砦を築き、見目美しい12人の姫(妃)と暮らしたと言い伝えられてきた。



夜闇にまぎれて人を襲う怪猫が住み着き困っていた地元の人々が、為朝に退治を依頼、
為朝は怪猫を追い詰め、弓で青く光る眼の間を射抜いたところ、怪猫は岩となり、十文
字原南の猫ヶ岩山となったとも伝えられている。



別府湾の的が浜海水浴場


鎮西八郎為朝と的ヶ浜、弓掛松、羽室台から的が浜の由来






別府市営の弓道場が今でも現存し多くの弓の愛好者で賑わっている



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鎮西八郎源為朝の史跡


宇佐神宮に源為朝の弓たての石


鎮西源八郎為朝の射た矢が大分県玖珠町にも


この石に突き刺さったといわれる射抜きの石



仁平2年(1152年)豊前福岡田川農林高校の敷地が館跡


雁股の泉伝説


別府の温泉施設、弓ヶ浜温泉


別府の誰でも入浴できる温泉施設、弓かけの松、弓松温泉


為朝が的を打ち抜いたとされる南的ヶ浜の温泉の成分表


餅ケ浜温泉施設、二階は公民館
おんせん県おおいた、世界一の温泉施設がある別府には温泉施設の名前で残っている。




鎮西八郎源為朝が沖縄上陸したとされる浜に立つ史跡



全国高校弓道選手権



隣の宮崎県都城で行われた大会ポスター



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保元物語、為朝伝説には、腰掛けのの石、袂の石、矢射抜きの石、弓を立てかけた弓掛けの石、大蛇を退治した伝説
300m離れた山から射抜いたとされる石、由布岳の塚原には笛を置いた笛掛の石、由布岳の大石を一刀両断の石、弓
の鍛錬をした弓ヶ浜伝説、別府湾にて、馬上から馬を疾駆させ的を射た的が浜、鍛錬の後に餅を馳走になった餅ケ浜、
弓を立てかけておいた弓かけの松、実に多くの為朝ゆかりの地があるものです。


 
別府の的ヶ浜町で生まれ育ったW氏の話によると、私の子供の頃に小学校の校庭に大きな松があったんや、その松は
確か弓かけの松と呼ばれてたんやで、場所は今のトキハデパートの駐車場の所やったなー、そのときに切り倒してしま
ったんやで、弓かけの松は別府ばかりではなく為朝ゆかりの各地に弓かけの石、弓かけの松、弓かけの楠、弓たての
場所ともある。
 



静岡県伊東市役所にある伊東祐親公の銅像、、豊後の国から戦場に趣き、伊東氏が伊豆の国に住し伊東になった。事
実、伊東市には伊藤さんはいても伊東氏に縁する伊東さんの血族も名前もないのです。




伊豆河津駅前の記念碑、日本三大仇討ちの曽我兄弟の象、河津の豪族、殺された父、河津三郎の二人の息子、日本
で一番先に咲く早咲きの河津桜で有名な河津町の河津家はそのルーツは豊後の国、天領地、別府にあると伝えられて
います。河津には川津さんはいても河津さんは一人もいないのです。その血縁もありません。河津の峰に河津家の館跡
は実在します。豊乃国別府には河津さん、伊東さん、原さんが多いとのことです。原さんは、静岡県の知事を三期務め
た原敬三郎氏のルーツとも言われています。
 






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